先天性心疾患を持って生きる

先天性心疾患で生まれたベルーガの個人的人生記録

今どきの小学生②

さらに驚いたのは、「お兄さん、セックスしたことある? 僕したいなぁ。○○さん(かわいいと言った看護婦さん)、してくれないかな?」なんて話まで!

オイオイ、オニイサンハ、セックスドコロカ、カノジョサエイマセンヨ。という気持ちであった。

当時、未経験の僕は苦笑いするしかなかった。

いや、ホント、僕、小学生の頃、セックスとか知りませんでしたよ? 女の子に興味が無かったかといえば、嘘になるけど、それでも、自らそんな話をするなんて、今どきの子どもは…ハシタナイ! って思ってました。

今どきの小学生

2人とも、まだ小学生だったのに(世代が違うのだろうか)、臆面も無く「お兄さん、彼女いる?」と聞かれたこともあった。

当時、彼女いない歴=年齢だった僕が、彼女いないと答えると、「お兄さん、いい人なのにもったいないね」などと励まされたりもした。

また、かわいいと思う看護婦さんのランク付けなんかもした。僕は、後でも述べるが看護婦さんに泣きながら話を聞いて貰ったりしたこともあったので、なるべく積極的にならないようにしていたが、「やっぱ○○さんってかわいいよね」などと話を聞いていると、男友達同士の話のようだった。

はて、僕が小学生の頃はそんな話したっけな?

子ども達2

子ども達の中でよく遊んだのは、間質性肺炎の子と腎臓病の子だ。

間質性肺炎の子は同室で、車に詳しく、病室から地上の車を見ては、「あれは○○社の××という車だよ」と教えてくれた。

腎臓病の子は、部屋こそ別だったが、よく僕たちの部屋に遊びに来てくれた。ものすごくリズム感が良く、ベッドの前で音楽に合わせて踊ってくれたりした。

そう、2人とも寝たきりの僕と遊ぶために、ベッド際まで来て遊んでくれた。

「遊ぼうよ」と言われたけど、むしろ僕が遊んで貰った感じだった。

子ども達

そんな入院中、僕の救いとなったのは、同室の子ども達だった。

僕の病名は先天性心疾患だったので、25才になっても小児病棟への入院だった。そして小児病棟だったので、入院中、同室になったのは子ども達であった。その子達も、心臓病ではなかったものの、一般的な病気ではない。みんな、25才の僕の目線で、一生治らないだろうと思われる病気を

持っていた。

泣いた

さて、結局、僕が喀血した理由はそういうことで、心不全ではなかった。

が、順調だった仕事が中断され入院。

しかも血が止まるまでは床上安静である。

さらに悪いことに、チアノーゼのある先天性心疾患では、成人してから、様々な合併症が出てくるとも言われた。

絶望感が津波のように次々と押し寄せてきた。

入院中、僕は泣いた。

せっかく就職したのに、2年でこんな目に遭ってしまうなんて。

しかもこれから、色々な合併症が起きてくるかも知れないだって?

まだ25才なのに、人生お先真っ暗となった絶望感に打ちひしがれて、大人の男が目に涙をたたえて泣いてしまった…。

喀血

実は、僕のような先天性心疾患患者では、血を吐くことは珍しいことではないらしい。

先天性心疾患の中でも、僕にはチアノーゼがあった。動脈を流れる血液に酸素が充分含まれず、紫色の血になってしまったものをチアノーゼという。

チアノーゼがあると、全身に酸素が充分供給されない事態に陥る。すると、体では少しでも酸素を増やそうと、色々なことが起こる。

例えば肺では、血液に少しでも多くの酸素を取り込もうとして、普通はないような細かい血管が張り巡らされる。側副血行路という。

しかし、間に合わせのように作られた側副血行路は、脆く出血しやすい。

今回、血を吐いたのはこの側副血行路が切れたためらしい。

ちなみに、肺から血を吐くことを喀血というそうだ。

吐血は、消化器側からの出血を指す言葉だ。

病院へ

翌朝、会社を休んで、かかりつけの大病院に行った。

すぐに入院となった。

肺の血管が切れたのだという。

床上安静を言い渡された。

つまり、ベッドの上から起きられないということだ。

そこから、およそ2週間に及ぶ安静生活が始まった。