先天性心疾患を持って生きる

先天性心疾患で生まれたベルーガの個人的人生記録

今どきの小学生②

さらに驚いたのは、「お兄さん、セックスしたことある? 僕したいなぁ。○○さん(かわいいと言った看護婦さん)、してくれないかな?」なんて話まで! オイオイ、オニイサンハ、セックスドコロカ、カノジョサエイマセンヨ。という気持ちであった。 当時、未経…

今どきの小学生

2人とも、まだ小学生だったのに(世代が違うのだろうか)、臆面も無く「お兄さん、彼女いる?」と聞かれたこともあった。 当時、彼女いない歴=年齢だった僕が、彼女いないと答えると、「お兄さん、いい人なのにもったいないね」などと励まされたりもした。…

子ども達2

子ども達の中でよく遊んだのは、間質性肺炎の子と腎臓病の子だ。 間質性肺炎の子は同室で、車に詳しく、病室から地上の車を見ては、「あれは○○社の××という車だよ」と教えてくれた。 腎臓病の子は、部屋こそ別だったが、よく僕たちの部屋に遊びに来てくれた…

子ども達

そんな入院中、僕の救いとなったのは、同室の子ども達だった。 僕の病名は先天性心疾患だったので、25才になっても小児病棟への入院だった。そして小児病棟だったので、入院中、同室になったのは子ども達であった。その子達も、心臓病ではなかったものの、一…

泣いた

さて、結局、僕が喀血した理由はそういうことで、心不全ではなかった。 が、順調だった仕事が中断され入院。 しかも血が止まるまでは床上安静である。 さらに悪いことに、チアノーゼのある先天性心疾患では、成人してから、様々な合併症が出てくるとも言われ…

喀血

実は、僕のような先天性心疾患患者では、血を吐くことは珍しいことではないらしい。 先天性心疾患の中でも、僕にはチアノーゼがあった。動脈を流れる血液に酸素が充分含まれず、紫色の血になってしまったものをチアノーゼという。 チアノーゼがあると、全身…

病院へ

翌朝、会社を休んで、かかりつけの大病院に行った。 すぐに入院となった。 肺の血管が切れたのだという。 床上安静を言い渡された。 つまり、ベッドの上から起きられないということだ。 そこから、およそ2週間に及ぶ安静生活が始まった。

ついに病気が悪化した?

話は25才の春にさかのぼる。 大学を卒業して、働くようになっていた。 毎日忙しいながらも、充実した日々を送っていた。 しかし、そんなある日、僕は血を吐き始めた。 2~3日し、横になって寝ているのが苦しくなった。 何か新たな病原菌に感染したのだろう…

新しい話~~自叙伝的なもの~~

去年、僕が小学3年生の時に体験した、心臓病の手術入院の時のことを書いた。 今年は、40歳になって、自分の人生を振り返りつつ、何が自分の人生に影響を与えたか、どのようにして現在の自分があるかについて書いてみようと思う。 長くなると思うし、完了さ…

はじまり2

僕は、運の良い人生を送ってきた。 20才まで生きられないと言われた先天性心疾患で生まれたにもかかわらず、不惑と呼ばれる歳になった。しかし、不惑と言われても惑うことばかりで、精神的にはまだ20才に達していないんじゃないかと思うこともある。 そんな…

退院した

こうして、僕の長かった約50日の入院生活が終わった。 退院して、帰宅したその日の晩、久しぶりのソファーの上で、妹たち(2人いる)と一緒に、嬉しくてピョンピョン跳びはねていたが、ふと、入院中の友達のことなどを思い出して、涙が出てきた。 一緒に喜…

ベッドから出る

そうして、いよいよ ICU を出られることになった。 ICU から出るにあたって、まずはベッドから降りて立ってみることから始まった。 立てるなんて当たり前じゃないか、と思った。 3日3晩ほど寝ていたので、フラフラして立てなくなることもある…。 などとい…

ICU での食事

そして、思い出3つ目は、食事の再開である。 手術から数日後、看護婦さんが来て、「そろそろ何か食べられるかどうか試してみようか」と言われた。 僕が首肯すると、はじめは氷を持ってきた。 単に水をこおらせただけのものだ。 それをなめさせられた。 2日…

人工呼吸器を抜くとき

次に覚えているのは、人工呼吸器をはずす時だ。 ある日、自分で息ができるようになってきてるから、人工呼吸器をはずそうか、と看護婦さんに言われた。 そして、看護婦さんは、鼻から奥に差し込まれていた管をゆっくりと引き抜き始めた…。 が、痛いのだ。 耳…

プライバシー皆無?

それにしても、今考えると、隣は女子部屋だったのだ…。 女子部屋が、ガラス1枚で見渡せる。 思春期男子にとっては垂涎のシチュエーションである。 グフフ…。 … などとは当時は考えなかった。 小学3年生、恐るべし。 さて、そんな貴重なテレビが1台、僕専…

テレビが見られる!

ICU には、3日間ほど入っていたが、ほとんど寝ていた。 そんな ICU の中での思い出が3つある。 1つ目は、テレビを1台与えられたことだ。 当時、病室には、今のように各ベッドに1台ずつある、どころか、2~3部屋に1台程度しか、テレビがなかった。 テ…

帰り道

次に覚えているシーンは、病棟帰りのエレベーターの中だった。 その時、先生に、 「人工呼吸器がついているから、がんばって息をしなくていいんだよ」 と言われた。 そこで、思い切って、先生に言われたとおりに息を止めてみたら、息ができた。 「そうそう、…

麻酔が切れた…!?

次に意識が戻った時は、真っ黒だったが、音が聞こえた。 そして、何より胸に痛みを感じた。 手術中に麻酔が切れてしまったんだ! と思った。 実際は、手術が終わって、麻酔から醒めてきて、縫った部分の痛みを少し感じていただけだと思う。 だが、声を出すこ…

前室で見た記憶

この時、僕の体はベッドに固定されていたので、上を向いた目線だけの印象の話ではあるが、黄色い部屋だった。 前室とでもいうのだろうか。 壁も黄色、机やいすも黄色、置いてある道具も黄色…。 しかし、これは、部屋の電灯が黄色かったからなのかもしれない…

手術室へ

やがて、手術室へ向かうベッドが入ってきた。 後年の他の治療の時との記憶の混乱はあるが、裸でベッドに寝かされたと思う。 そうして、ベッドに乗った僕はガラガラと運ばれていった。 エレベーターを降り、やがて、手術室と思われる部屋の前にたどり着いた。…

別の世界

当日の僕の心理を振り返っても、とても「今日手術だからがんばってくるね」などと話す気にはなれなかった。 気になれないというより、大げさに言えば、っ前日、部屋が移動になった時から、僕からは、僕自身と、親と、医療関係者以外の世界がすっかり抜け落ち…

当日の朝

トイレと病室を行ったり来たりしている間、食堂の方に目をやると、友達たちが普段通り朝食を終えた頃で、めいめい、のんびりと1日を始めているようだった。 病院の方針か、子どもたちの気遣いか知らないが、友達に声をかけられることもなく、さりとて、自分…

手術当日

翌朝、いよいよ手術当日だ。 当日は、朝食を食べられない。 水を1杯飲んだくらいだった。 そして、その後に待ち受けていたのは浣腸である。 お腹の中にあるものを全て出してしまうためだ。 僕より前に手術を受けていた子どもたちから、噂は聞いていた。 子…

手術前日

さて、あまりじらしても仕方ないので、時間を進めて 9 月 3 日の話をしよう。 いよいよ、翌日が手術の日となった。 手術の前の晩は、個室に移動になり、親が泊まりに来てくれることになっていた。 僕の場合も、母が簡易ベッドで一緒の部屋に寝てくれた。 嬉…

延期に次ぐ延期

しかし、緊急手術で延期された手術の新たな予定日であった 8 月 27 日。 僕は数日前から熱を出し、風邪をひいてしまっていた。 そのため、手術は再度延期になり、9 月 4 日と、改めて予定が組まれた。 なぜ風邪をひいたのか。 8 月 14 日の手術が延期になっ…

手術が決まった

さて、話はそれたが、そのような状況を改善すべく、手術を受けることになった。 僕の様な心臓病は、ゴールは「フォンタン」という手術だ。 しかし、それに進むためには、「グレン」という予備手術を受ける必要がある。 小学3年生の当時受けたのは、その手術…

家庭生活

家庭生活も大変だった。 当時は、団地の4階に住んでいたが、妹たち(僕には2人の健康な妹がいる)と、遊びに出ても、団地の1棟を1周走らない(実際には歩いている)うちに、バテて歩けなくなっていた記憶がある。 そもそも、自宅がエレベーターのない4…

学校生活

小学2年生の時、教室が2階になったのだが、2階に上がる階段は、3段程度のぼると、息が上がって座り込んでしまうほどだった。 しかも、特別に、教室に近い職員階段を使わせて貰っていたのだが、その階段、通常、生徒は使ってはいけなかった。 なので、他…

チアノーゼの症状

最近、コロナウイルスで有名になったパルスオキシメーター。 これは、血中酸素濃度を測る機械だが、これが測っているのは、心臓から全身に送られる動脈血の酸素濃度だ。 その濃度は通常 98% 以上である。 コロナのニュースでは、93% 以下で入院と言われてい…

僕の心臓

さてここで、僕の心臓について少し書いておこう。 18歳になった時に取得した身体障害者手帳によると「肺動脈狭窄を伴う右室型単心室」である。 しかし、病名で言えば、「(右室型)単心室」「両大血管右室起始」「肺動脈狭窄」である。 名称がややこしいので…