先天性心疾患を持って生きる

先天性心疾患で生まれたベルーガの個人的人生記録

ついに病気が悪化した?

話は25才の春にさかのぼる。

大学を卒業して、働くようになっていた。

毎日忙しいながらも、充実した日々を送っていた。

しかし、そんなある日、僕は血を吐き始めた。

 

2~3日し、横になって寝ているのが苦しくなった。

何か新たな病原菌に感染したのだろうか?

恐ろしくなって、夜だというのに、救急車を呼んだ。

救急車で運ばれた近所のクリニックで、心不全だろうと言われた。

未知の感染症ではなくてホッとした反面、心不全という、それまで自分とは無縁だった心疾患にゾッとした。

新しい話~~自叙伝的なもの~~

去年、僕が小学3年生の時に体験した、心臓病の手術入院の時のことを書いた。

今年は、40歳になって、自分の人生を振り返りつつ、何が自分の人生に影響を与えたか、どのようにして現在の自分があるかについて書いてみようと思う。

長くなると思うし、完了させることができるかどうかも分からないが、とにかく書いてみることにした。

書きながら、過去のことを思い起こしていくとあらたな発見がある。

はじまり2

僕は、運の良い人生を送ってきた。

20才まで生きられないと言われた先天性心疾患で生まれたにもかかわらず、不惑と呼ばれる歳になった。しかし、不惑と言われても惑うことばかりで、精神的にはまだ20才に達していないんじゃないかと思うこともある。

そんな僕の人生に大きな影響を与えてくれた子の話をしよう。

退院した

こうして、僕の長かった約50日の入院生活が終わった。

退院して、帰宅したその日の晩、久しぶりのソファーの上で、妹たち(2人いる)と一緒に、嬉しくてピョンピョン跳びはねていたが、ふと、入院中の友達のことなどを思い出して、涙が出てきた。

一緒に喜ぶ妹たちを尻目に、泣き崩れてしまった。

子どもにとって、本当に長い、大変な、だけど充実した1か月半だった。

ベッドから出る

そうして、いよいよ ICU を出られることになった。

ICU から出るにあたって、まずはベッドから降りて立ってみることから始まった。

立てるなんて当たり前じゃないか、と思った。

3日3晩ほど寝ていたので、フラフラして立てなくなることもある…。

などという知識はなかったし、当たり前のことと思ってベッドから降りた。

 

難なく立てた。

 

久しぶりにベッドから出て立ったのだ。

それから、体重を測ったりして、とうとう、ICU から外に運び出された。

 

ICU での食事

そして、思い出3つ目は、食事の再開である。

手術から数日後、看護婦さんが来て、「そろそろ何か食べられるかどうか試してみようか」と言われた。

僕が首肯すると、はじめは氷を持ってきた。

単に水をこおらせただけのものだ。

それをなめさせられた。

2日2晩か3日3晩か知らないが、何も食べていなかった僕にとって、その氷は…

特に美味しいものではなかった。

しかし、次に看護婦さんが持ってきてくれたのは、やわらかいクッキーだった。

氷が大丈夫だったので、次はクッキーというわけだ。

これは美味しかった。

1枚ペロッと食べてしまい、もっと欲しいと言って、もう1枚貰った。

その日の食事はそれで終わりだったが、すぐに ICU を出られそう、と言われた。

人工呼吸器を抜くとき

次に覚えているのは、人工呼吸器をはずす時だ。

ある日、自分で息ができるようになってきてるから、人工呼吸器をはずそうか、と看護婦さんに言われた。

そして、看護婦さんは、鼻から奥に差し込まれていた管をゆっくりと引き抜き始めた…。

 

が、痛いのだ。

 

耳鼻科に行くと、薬を塗ったり鼻汁を排出したりするために、鼻の穴に棒を入れられることがあるが、これを経験したことのある人は多いだろう。

あれは結構痛い。

子どもの時はベソをかいてしまっていたほどだ。

 

そして、人工呼吸器の管は、あの棒がさらに奥まで入れられているようなものなのだ。

引き抜くときは、それを特に感じる。

しかも、看護婦さんがゆっくりと引き抜くものだから、痛みの時間が長引くのだ。

僕は、慌てて、自分で管をつかんでさっさと引き抜いてしまった。

 

これが、ICU での思い出の2つ目である。